なぜがっこうを作るのか
最近、なぜ学校を選ぶのか?なぜがっこうをやるのか?と立て続けに問われたので、年末も近いのと珍しく一日フリーなのでふりかえり。
【なぜ学校を選ぶのか?】
中一の長男が小学校に上がる前の一年間に考えたことは「今の教育システムで育てて幸せにつながるかどうか」「今までのような教科学習が絶対に必要かどうか」
当時、まだ子どもが幼く学校を経験していなかったので、小学校に入っても何も望まならければ何となくやっていけるだろうとも思っていたと思う。漠然と、子どもの頃楽しかった!という記憶が人生を豊かにすると信じていたと思う。目の前の子どもは6歳と幼くて心配にならない日がなかったわけじゃないけど「10年後は16歳。その時には16歳の脳で考えているはず」と信頼することにしていた。
当時は「学校に行かなければ社会性が育たない」という言葉にどう答えれば分からなかったけど「子どもの健全な育ちを邪魔しなければ発達に従って社会性を発揮する」と答えると思う。それは、学童期に限らず乳幼児期から同様に言えると思う。逆に私たちにできることは「できるかぎり損なわない」「最低限の環境を作る」「対等に接する」だと思う。それだけでも子どもは様々な力を発揮する。
【なぜがっこうをやるのか】
ゆびとまは一条校ではないので、がっこうと表記することにしている。
学校を選ぶなら、公立か私立かオルタナティブか、いずれにしろ自分の価値観と家庭の経済面に合う教育理念の学校に行かせるのが一般的なのかなと思う。もしくは、行かせたい私立に行かせて自分はシャカリキに働くとかね。そういう選択肢の人もいる。
うちは、どこかいいなと思うところはあっても当時すでに子どもが3人いて学費×3はあり得なかったし、幼児期に手をかけたかったので働いて学費を稼ぐは選択肢に無し。それに、頑張って無理して理想の小学校生活をナントカ過ごしたとしてもその次は?となる。オルタナから公立中学校へとなると(もちろんそういう場所もあるけど、そういう場所は小学生の6年間に手塩にかけ、スタッフが信頼と愛を持って手放している)、せっかく今までとちがう教育を小学校の6年間でやったとしても、既存の理念の中に戻ることは、私の中では今ある社会に巣立たせていくことに違いなかったからわが子のルートのそこを変えたいという思いがあったと思う。それでも自分でがっこうをやるにあたって「これがいいんだ」と太鼓判を押すには、自分自身の中に絶対的な根拠が欲しかった。ひとりでも子どもを引き受けるのに100%信じ切らないままやるなんてできない。縁があってか、いくつかの講座に出会って「これは根拠だ!」と思えたので今自分の思う通りのがっこうに踏み切れたんだと思う。それから、もう一つは学費のハードル。これも長男が通うことになったがっこうの運営法に深く共感して、そのまま地元に持ってきた。新しいがっこうの学費と根拠、ふたつのハードルをクリアしたから始められたと思う。
【地元の良さ】
最近思っているのでこれも。地元であることは良いなと思う。地元に愛着が沸くだろうし、家から遠くないだけでも「スモールステップ」になっていると週一でも子どもたちを見ていて感じる。かかっても、電車賃とか少しですんだりするし。以上かな。
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